[movie] パディントン

Paddington

ポール・キング監督のコメディですが、ベン・ウィショー主演(声)、ニコール・キッドマンが主演女優(というか悪役)という割と贅沢なキャストに、イギリス風味を満載して突っ走っているなかなかの傑作です。

歯ブラシのくだりとか、もういかにもイギリスという感じで「うへえ」と顔を思いっきりしかめてしまうんですが、そういうのばかりでなくもう少しライトで爽やかな笑いもあり、かつファミリー・ムービーとしての王道を行くようなプロットで、鑑賞後は非常に晴れやかな気分になります。あと、ニコール・キッドマンは偉いなぁ、という感銘。

とりあえず一貫して笑える作品であって、変なクセも衒いもなく、安心して2時間を投じることのできる映画です。その一方、当然かつ妥当なことですが、あとに残るようなものはなく、もっというと特に語るべきところもないというか。

これは良し悪しあると思うんですが、最近のコメディは笑いを求めつつも結構、「感動させにくる」ようなところが入ってくることが多くて、「笑い」で活性化された精神に対して、それが異常に効果的であることがままあります。そういうのはもちろん「いいぞ、もっとやれ」でもあるんですが、たまにはそれを多少控えて、変に揺さぶってやろうなんていう色気を脇に置いた作品があってもいいかな、という気がするんですが、この作品はまさにそんな「あまり色気を出してない」素直な作品でした。

Rotten Tomatoesで98%とか言われるとマジかよ、とは思いますが、まぁ、日曜にはこういうのも良いと思います。

[movie] ブラック・スキャンダル

ジョニー・デップ主演、スコット・クーパー監督の、「実話に基づく」です。(またか。)

ボストンのアイルランド系住民で、幼い頃に絆を結び、今はそれぞれ別の道を歩んでいた3人、ギャングのボスとなったジミー・バルジャー、その弟で上院議員のビリー・バルジャー、友人でFBIの捜査官になったジョン・コノリーの人生が再び絡み合って、というお話です。

このジャンルは『ミスティック・リバー』とか『スリーパーズ』とかの傑作が記憶に残っているので大変ですよね。※なお「このジャンル」というのは「ケビン・ベーコンもの」のことです。

ちなみに「実話に基づく」とは言え、ポスターには「Based on Book」なんていう書き方がしてあって、実際にはDick Lehr とGerald O’Neillによる「Black Mass」というドキュメンタリーが原作になっています。映画も、原題は『Black Mass』ですね。

さて、中身ですが。

この映画のジョニー・デップは、どうしても頭部のバーコードっぷりが目立つんですが、実に凄みと深みのある演技をしていて、目の下の隈取りがなくても、ドーランを塗ってなくてもちゃんと存在感のある演技ができる、ということを改めて証明しています。批評家筋でもキャリア・ベストという声がちらほらあるくらいで、何というか、キャラクターではなく、「人物」を演じている感じ。

ちなみに弟役を演じるベネディクト・カンバーバッチとはあまり濃い絡みがないんですが、兄のジミーと、対照的に「正しい人」であるビリーとの関係は、淡々としながらも非常に堅い絆であって、劇中、二人が絡む最後の場面である電話のシーンはそれを見事に描き上げています。こういうベタベタしない兄弟は尊いし、ああいう「さらっと固い」みたいなのは非常に好ましいです。

劇中には他にもいろんなドラマがあって、特に主人公であるジミーの愛情と孤独、家族の喪失と、失くした拠り所に対する埋め合わせのように虚しいIRAへの傾倒などなど、じゃあ結局、このジミー・バルジャーという男は「何だったのか」、そして監督は何を描こうとしていたのか、というのが一見して掴みづらい、なんとも紛糾した感じに仕上がっています。ある意味、最近書いてきた流れで言えば、「実話に甘えて」そのまま放り出しているようなところがあるわけです。描くのではなく、ただそのまま提示する、というか。

しかし、この丸投げに意図がないかというとそうではない気がしていて。

ここでタイトルの話に戻るんですが、Black Massというのは、日本ではむしろ「黒ミサ」という言葉で知られていますが、要は反キリスト的、悪魔主義的な祭礼であったり、集会であったり、あるいは秘密裏に行われる結社の儀式です。このポイントは『ブラック・スキャンダル』という邦題では薄まってしまうのですが、この言葉の選択には割と大きな意味がある気がしていて、黒ミサであれ反キリストであれ、本来のミサあるいはキリスト教という枠組みがまずありきの構造で、それに反発し、それを歪曲し、それを憎悪して揶揄することをその「冒瀆」の核にしているがゆえに、むしろそういう本来の価値観に不可避的に根ざしてしまっている、というような含意が底にあるように感じられるわけです。

劇中、何度も出てくる教会のシーンもその辺りを補強しているような気がするんですが、そう思うと、そうした信仰であったり正しい道であったり、そういった善なるものを対比の軸に置きつつ、一人の人間として家族を深く愛しながらすべてを失っていったジミー・バルジャーと、イタリアン・マフィアを放逐するという正義を目指していたはずのジョン・コノリーの間に、この、実に黒々とした「Black Mass」が生まれ、何もかも飲み込んでいった、という、如何ともしがたい「大きなうねり」とそれに取り込まれた人の「魂」、そして流された果てにそこに生じてしまった、魂の「あるべきところからの距離」または「断絶」といったことがひとつのテーマなのではないかと思います。

そう捉えると、何というか極めて救われない話なんですが、しかしエンディングで淡々と提示される事実には、救済とは言えないまでもほのかな光が残っている気もします。

今作は「登場人物のその後を語る」という、おいおいそれをやるか、という終わり方をしていくんですが、そこで語られる「事実」は、単なる添え物的な「後日談」を超えて、ストーリーとしてのテーマに帰結しています。そこで提示されている、弟であるビリーと、友であり共犯者であったジョン・コノリーの「その後」は、結局どちらも、最後までジミーを「売らなかった」ということを意味しているわけです。後者はまぁ報復を恐れて、ということかもしれませんが。結果としてそこに残ったままの絆が、この映画が最後に目を向ける部分なんですね。

そのことを、それぞれ存命である、現実に存在している3人が互いに知って、互いに黙したまま、抱えたまま、今は別々に生きている、というのは、何となく、ただただ長い溜息が漏れるような話です。

そんなケビン・ベーコン・ムービーでした。

[movie] エージェント・ウルトラ

Agent Ultra

ジェシー・アイゼンバーグ主演、ジョン・レグイザモ脇役、監督ニマ・ヌリザデでお届けする、ジャンル分けしづらいけど明らかにジャンル・ムービー、という作品です。

先日の『イット・フォローズ』と同じくいろいろ言いたくなるところのある映画なんですが、『ザ・ウォーク』でグロッギー気味の心にすっと優しく染み込む、「これこれ、この味」という感じで、個人的かつ一時的なニッチにぴったりはまってくれました。

ジェシー・アイゼンバーグは安定の挙動不審っぷりで誰もが期待している高速台詞回しもさりげなく絡めつつ、愛すべき主人公マイク・ハウエルを非常に説得力高く演じているんですが、脇役のキャストが意味不明でいいですね。レグイザモにせよ、後半に出てくるCIA高官にせよ(せっかくなので伏せますが)、お前かよ!みたいな驚きがシャッキリポンと口の中で踊ります。この主演と脇のバランスはどこか『キック・アス』を思わせる感じです。

アクションもしっかりしていて、突然急加速する感じの今風の演出と撮影がそつなく尺を運びます。最後の決戦の舞台は『イコライザー』風味なんかも取り込んでいる感もあり、この辺もなかなか貪欲で好感が持てます。

さらに全体を通してみると何となく『キングスマン』とかと比べてみたくなったりするんですが、こうして考えてみるといろんな映画を「思わせつつ」どの要素もそこを超えていってないんですね。端的に言うと「すげえ!」は無い。

ただ最初に書いたように、感想は「これこれ、この味」なんですよね。もちろん、自分がこれを今このタイミングで観たことというめぐり合わせによる部分もあるはずなんですが、具体的に不満なところは特になくて、でも強いて言えば、いくらでも言うことはあるものの、最終的な着地点としては「いやそういえばこういうの観たい方だったわ」みたいな。何かが自分の中に戻ってくるような感覚があります。あとエンディング(の手前)が非常に清々しくて、あれは非常によろしいです。

なので、あえて「強いて言えば」なんて無粋な話は放っておいて、この妙に高い満足感を尊重したいと思います。面白かったです。

[movie] ザ・ウォーク

The Walk JP

ロバート・ゼメキス監督、JGLことジョゼフ・ゴードン=レヴィット主演の、「実話に基づく」です。ロバート・ゼメキスといえば押しも押されもせぬ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズの監督ですが、個人的には劇場で観るのは1994年の『フォレスト・ガンプ』以来になります。

今年ここまで8本観て、実に5本目の「実話に基づく」で、ハリウッドは本当に大丈夫なのか、と心配になってきていたんですが、そんな心配も強烈なビル風で吹き散らしてくれる、極めてパワフルな作品でした。これです。こういう「ものすごい実話」を土台に、さらに「とんでもない映画体験」に引き込んでくれる二段階推進ロケットが観たいわけです。

話の筋立てはシンプル極まりなく、「変人が地上400メートル以上の高層ビルの間を『綱渡り』する」というもので、ネタバレもへったくれもありません。結末は最初から見えていて、何が怖いかも最初から分かっている、バンジージャンプのような映画です。事前に設定されている「目標」は「綱渡り」をどう描けるか、というこの一点だけ。

…ではあるんですが、映画全体の作りは実にロバート・ゼメキスで、クライマックスの実際の「綱渡り」に至るまでの語り口が実に特徴的というか、『フォレスト・ガンプ』でも印象的だった、ちょっとしたCGによる「幻視のアクセント」がちょこちょこと挿入されていて、ゼメキスのテンポに観客を巻き込んでいきます。正直、2016年の現在では、その細かなステップの設計に乗り損なう人もいるのではないかという気がするのですが、たとえば若き日のフィリップ(JGL)が独学で綱渡りを練習していくシーン、だんだん消えていくロープとか、時間の経過と彼の技術の向上を表現するのにくどくどと尺を使わず、わずか数秒の1カットで済ませる、というものすごく効率的なプロット運びで、その瞬発的な加速がある意味で観るものの足をすくってあとはなすがままに運ばれていく、という構造がデザインされていて、そこはもう乗るに限るわけです。そこからがゼメキスというジェットコースター。

で、このジェットコースターの最大のクライマックスである実際の綱渡りシーンについては、これについてはもうただただ自分で「体験」するに限るので多くは語りませんが、「綱渡り」自体については事前に明らかになっているにも関わらず、それでも人の予想を遥かに超える、というとんでもないことを達成していて、この辺りもゼメキスという巨大な凶器が観客を本気で殺しにきます。巨匠のくせにおとなげない。本当におとなげない。もう本当におとなげない。映画終わった後、手汗がものすごいことになっていたんですがさらに家に帰ると靴下に靴の色が写っていてどうやら足汗までかいていたようです。観ている間、頭の方はある意味で「歓喜の悲鳴」を上げていたんですが、体の方は相当しんどかったようで。

そしてその一大クライマックスの後で静かに収束していく終盤、個人的には実に鮮やかだと思う「裏面」の提示が行われます。ある意味で淡々と進行していたようにも見えた中盤で提示されている様々な要素がパタパタと再展開されて、繋がり直すというか。ここもある意味で『フォレスト・ガンプ』に通底すると思うのですが、この映画のメインプロットである、フィリップ・プティという稀代の変人や彼の「ザ・ウォーク」を描く流れの中でもう一つ組み込まれていた、ゼメキス自身の、アメリカという国、ニューヨークという街、そこに住む人々に対する大きな思いがファンファーレをともなって立ち上がってくるんですね。この辺も実に「おとなげない」というか、お前それ個人的なラブレターじゃねえか、みたいな感じで何とも清々しい感覚が残ります。実に爽やかな私物化。まぁそもそもこの映画は彼の私物なので異論は全くないわけですが。で、また私はこの手のネタに本当に弱いので、綱渡りで滅多刺しにされてよれよれになっていた魂はラストシーン、金色に輝く塔を登って見事に昇天していきました。南無阿弥陀仏。

芸達者なJGLやベン・キングズレー、ヒロインを好演したシャーロット・ルボンも一見の価値ありですが、とにかく「実話に基づく」のお手本のような作品でした。

 

[movie] クリムゾン・ピーク

CrimsonPeak

1/8に『ブリッジ・オブ・スパイ』、『イット・フォローズ』と同日公開されたギレルモ・デル・トロ監督、トム・ヒドルストン主演の、ゴシック・ホラーというかゴシック・ロマンスというか、トム・ヒドルストン映画です(いい意味で)。以下、今回はちょっと踏み込んで書いていますのでネタバレ注意です。

もうすでにいろんなところで言われているのでここで繰り返す必要もないんでしょうが、画面はもう本当に美しく、ヒロインを完全に食ってしまっている感のあるトム・ヒドルストンとジェシカ・チャスティンの顔力もあって強烈な「うつくし映画」に仕上がっています。

とは言いつつも外見だけで中身がないか、というとそうではなくて、一方ではギレルモ・デル・トロの趣味が炸裂しまくっていて、「お前雪が赤く染まる絵を撮りたかっただけだろ」というのが丸わかりな「血のように赤い粘土が産出する山のお屋敷」という舞台設定であったり、特に必然性もなく頻出してくる蝶や蛾のクローズアップであったり、何かと言えば頭を割られて死んでいる人が出てきたり、もう中身もデル・トロの赤身と脂身でぎっちりという感じです。

で、もっというと、ストーリーも、いや、これかなり良いですよ?

劇中、ワルツのシーンが出てきて「真に優雅な踊り手を見極めるには、手に火のついた蝋燭を持たせて踊らせればよい。火が消えなければ本物だ」みたいな話があるんですが、物語はそのセリフが一つの宣言だったのではないかと思わせるように実にスムーズで、登場人物の魅力にきらびやかに飾られながら、実に滑らかに進んでいきます。これがまた実に心地よくて。かつ、鍵束をあえて放置するプロットとかクライマックスのトム・ヒドルストンの「君は医者だ」とか、実に軽妙かつ巧緻なステップを踏んでいくわけです。この構成と脚本は結構、侮れません。

そして本作で一番大事なところですが。

デル・トロ監督といえば『パシフィック・リム』もありますが、そもそも『パンズ・ラビリンス』とか『MAMA』の人なんですよね。で、今回この『クリムゾン・ピーク』を観て再認識したんですが、やっぱりこの人、「ゴーストが好き」なんだなぁ、と。「ゴースト」に対して、とても優しい。ホラー映画にカテゴライズされる作品ではありますが、この映画に出てくるゴーストも、やはり人を傷つけないんですよ。自分を殺した相手に対する復讐すらしようともしない。基本的に、ゴーストの方が人に優しいという。これはデル・トロ監督の割と根っこのところではないかという気がします。

そういう「ゴーストへの優しい眼差し」(なんだそれ)を踏まえてみると、このお話はある意味、『パンズ・ラビリンス』にも通じる側面が出てくるというか。この作品は、「ゴーストの話」とか「幽霊屋敷の話」というよりは、不幸に晒されて傷つき歪みながら苦しんでいた人間が、「ゴーストになる話」であり、その舞台が「幽霊屋敷になって」一つの救済を迎える物語、という気がするわけです。ヒロインであるイーディス(ミア・ワシコウスカ)観点で見れば割と悲惨な話ですが、ある意味、生きてるんだから後はどうとでもなるだろう、という放り出され方をする一方で、ラストシーン、もう一人のヒロインであるルシール(ジェシカ・チャスティン)は、ピアノを弾いているんですよね。監督は明白にそちらを向いていて。

というか、まぁデル・トロは明らかに生きている人間には興味がないんですが、そういう振り切った撮り方をする作り手はいいなぁ、というお話でした。

もしくは、ヒドルストンのあのチャーミングっぷりはもはや鬼畜レベル、というお話です。

[photo] in and out of years / Akiyoshi-dai

_DSR7868(Canon EOS 5DS R + EF35mm f/1.4L II USM, 1/8000 sec at f/1.4, ISO100)

年末年始は山口県に帰省していたわけですが、ここ数年、実家に戻るたびに秋吉台に足を運んでいます。2億年以上前には海の底で、長い年月をかけて形成されていった石灰岩の地層によって成立した「カルスト台地」という地形で、人の手がほとんど入っていない一方、大きな樹木が自生しないために延々と草に覆われた中、まばらな潅木・低木とむき出しの白い石灰岩が点在する広大な丘陵地帯という、非常に特徴的な場所です。

夏場は一面が緑に覆われたそれは爽やかな景観なのですが、冬場は見渡す限り枯れ草という非常に佗しい光景で、かつ観光客もほとんどいなくなるため、ちょっと大げさに言うとこの世の果てに来たかのような上質の寂寥感が味わえます。ハイキングロード的な道が開いてあるのですが、駐車場から10分も歩けば、誰もいない、踏み固められた道を除けば人工物も見当たらない、といった状態で、他の場所では簡単には味わえないレベルで文明世界と断絶することができます。ある意味、極上の娯楽です。

a bliss of being alone(Canon EOS 5DS R + Sigma 20mm F1.4 DG HSM | Art 015, 1/2000 sec at f/1.4, ISO100)

この冬は気候も穏やかで、心細くなる程度には空気は冷たく、さりとて生存が脅かされるほどには寒くない、といった感じで、西日にもわずかに暖かさが残っていました。

モノクロで撮っていこうかと思ったんですが、せっかくの微妙な温度感を尊重して、カラーのままで。ちなみにこちらはSIGMAの20mm Artの開放ですが、この遠景のボケが好みに完全にはまっています。個人的には、明るい広角はこうでなければ、という感じ。

_DSR7359(Canon EOS 5DS R + Sigma 20mm F1.4 DG HSM | Art 015, 1/5 sec at f/1.4, ISO100)

同じく、20mm Artの開放です。日暮れ後、三脚を使って撮ってます。このレンズ、周辺も程よく落ちてなかなか深い色を出してくれます。

今回はあまり夕焼けの赤には恵まれませんでしたが、訪れる度にその都度、撮りたいものがあって、ここは本当に、毎年通っても飽きません。

しかし、この秋吉台、近年は地元の人手不足ということで、草地のメンテナンスのために欠かせない「山焼き」の規模が縮小していて、徐々に荒れてきているそうです。まぁ人為的な処置のない「自然」に還っていくことを「荒れる」というのが適切かどうかわかりませんが、今後どうなっていくんでしょうかね。自然破壊ということではないので、別にそれはそれで構わないのかもしれませんが。

[movie] 白鯨との戦い


ロン・ハワード監督、クリス・ヘムズワース主演の「実話に基づく」です。内心期待していた怪獣映画風味は控えめで、海上での「白鯨」との遭遇シーンは、迫力はあるもののやはりそこに焦点があるわけではなく、実際には極限状況に置かれた男たちの人間ドラマ(と、その後日譚)が主眼です。

(そういう意味では原題「In the heart of the sea」を『白鯨との戦い』という邦題にした日本側配給は呪われてあれ。ポスターもアメリカ版の方が圧倒的に良いので今回はそっち。)

なお、キャスト陣には主演のクリス・ヘムズワースだけでなく、キリアン・マーフィーやベン・ウィショーといったおいしい辺りが名を連ねていて、劇中はとりあえず画面には常に花がある、といった感じなのですが、その一方、全体としては薄味というか。最後のポラード船長とか、キリアン・マーフィー演じるマシュー・ジョイの禁酒のくだりとか、人間ドラマの名手ともいえるロン・ハワードならではの「光るプロット」が多々盛り込んであるにもかかわらず、演出なのか脚本なのか、魂に踏み込んでくるようなパワフルさはなく。

しかし、水中のシーンも含めて絵はとてもとても美しくて、キャストの華やかさだけでなく、映像的には非常に贅沢な作品ではあります。

***

さて、このところ、「実話に基づく」があまりに立て込んでいて、そろそろ整理をつけなくてはいけないと思っていたので、これを機に少し考えてみたいと思います。

仮に、映画というものが「高ければ高いほど良い建造物」だとした時に、その出来上がっていく建物の天井を支える柱は、「必然性という物理法則」に則した形で組み立てていかなければならない、と個人的には思っています。そして、それがその「法則」を高度に利用しているほど出来上がる建物は美しくなる、という側面があり、逆にそれがないと、「たまたま成り立った」だけ、もしくは「成り立たなかった」作品が後に残るわけです。単純に言えば、人が意図を持って作る「物語」に「なぜか偶然そうなった」は許されない、ということで。

ここが多分、個人的に「実話に基づく」に感じている、もやもやしたものの源なんだと思います。「実話に基づく」は実際にあった「事実」がその骨組みなので、柱の強度も配置も、「物語の物理」に必ずしも則している必要がなくて、端的に言えば、その作品の物語としての構造について「なぜそうなのか」という問いに、「実際そうだったから」以上の答えがない、ということがありうるわけです。で、実際にそうなってしまっている作品を見ると「実話に基づく」に甘えている、という感想を抱くわけです。

たとえば、今時、実際に目にすることはほとんどありませんが「爆弾のコード、赤を切るか、青を切るか」で、「南無三!」とかはありえなくて、赤を切るなら赤を切ると判断するに至る「理」がないとダメだと思うんですが、しかし「現実」ではそこに何の根拠もなく「ままよ!」でやった、ということがありうるわけです。

ただ、こうした「事実がそうだった」という以上の骨組みがないプロットに対する評価において、おそらくは唯一の例外となるケースが、それが「人の心」によるものである場合だと思っていて。それは厳密な必然性では描けないし、むしろ、それが描きえないこと自体によって、その人が描かれることになる、という逆転の構造がそこにあるわけです。その逆転が鮮やかに達成される時、心は震えるわけです。

爆弾のコードの例で言えば、『幽☆遊☆白書』の最後のエピソード。その作品性とか価値とかはさておき、あのエピソードの決着のつけ方がまさに「必然性だけで成立しない因果が、それを超えた物語としての枠で成立している」サンプルではないかと思います。物語の構造とか仕組みだけに着目して言えば、赤を切るか青を切るかで提示されたサスペンスに対する解決が、そのサスペンスにおいて主人公が何を思って何をしたか、という別の軸での物語上のカタルシスに、構造的に転換されているわけです。そして、そういうのは尊い、と。

ちなみに、そのエピソードは、それ自体の出来はさておいて(ベタですよねぇ)、ある意味、一つの里程標のような意味があるような気がしていて、その後、『HUNTER x HUNTER』で冨樫が進んでいった道を拓き、方向性をセットした第二の原点であったような気がします。キメラアント編の最後、そこまでかなり理詰めできっちり立ち上げていった物語の最後のカタルシスは、実は同種の転換ではないかと。そこでは転換先の別軸もしっかり設計・構築されていて、何というか原点に対する見事な到達点という気がします。

話が逸れましたが、改めてまとめると、「実話に基づく」は、「物語を構築する物理」を甘やかす可能性があるものの、その「物理」を越えた別次元の枠において、実話であるがゆえによりパワフルな「人間の魂」による転換を描くことができる構造で、また、そうであるがゆえにこそ、それを達成して見せてほしい、という期待があるわけです。

その意味で、本作は、極限状況のドラマ(海上に限らず、その後の場面も含めて)ということで、人間の意思であったり人智を超えた巨大な存在であったり、といった要素が実際に提示されていて、そこにかすっているんですが、そこが爆発しきらないというか。似たような感触は去年の『エベレスト3D』にもあったんですが、こんな実話があったんだ!とかこんな凄い人物がいたんだ!という「実話の時点ですでに提供されている価値」を、より高みに引き上げて提示してくれる作品が観たいなぁ、と思うわけです。ある意味、期待を裏切ってくれよ、という身勝手な期待ですが。

というわけで、『In the heart of the sea』、キリアン・マーフィーはいい顔でした。

[movie] イット・フォローズ

ItFollows

タランティーノが絶賛している(※1)とか、Rotten Tomatoesで97% Freshとか、一部でけっこう話題になっていた作品です。200万ドルだか何だか、という昨今の作品としてはかなり低予算で作っていて、「アイディア勝負」的な話だったので気になっていたんですが。

とりあえず、「志が高い」とまでは言わないまでも「志のある」映画だったのは間違いないです。怖いか、というと、まぁ言うほど怖くはないし、そんなにアイディアが凄いかといったら、まぁ全然そんなことはないわけです。ここで言ってるアイディアというのはプロットレベルの話ではなく、こんなクリーチャー(クリーチャーでもないのか)はどうだ、という単発のアイディアなんですね。まぁ上に貼ってるポスターにも書いてあるんでネタバレにはならないと思いますが、要は「ずっと歩いて追ってくる化け物」というコンセプトで、発想としては確かに怖い。絵面の怖さよりも、そんな奴がいたら嫌だ、という、「頭」に響くタイプの恐怖です。

最後、主人公二人を捉えたシーンも、多分、その前の病室のシーンと合わせて考えれば「志」を持ったエンディングではないかと思うので、そこは前向きに捉えたいと思います。全体の完成度が高くないというか、キャラクターの整理もプロットの整理も綺麗についていないので「美しくまとまった」感はないのですが、低予算一発勝負でこれを世の中に問うてきた姿勢は高く買いたいところ。(何様)

しかし、私はホラー映画自体そもそもあまり観ないんですが、観ないなりに一定の好みのようなものがあるものなんですね。改めて考えてみて思ったんですが、ホラー映画にはやはり、ハッピーエンドであれバッドエンドであれ、カタルシスが欲しいと思う性分のようで。恐怖というのは想像力とそれを抑制する力のせめぎ合いの中で生まれるものだと思っているのですが、私は前者の方が圧倒的に強いようで、けっこう恐怖演出とかには過剰反応する質です。そのため、ホラー映画を観ている時は基本的に極度の緊張状態に置かれてしまって、それゆえ必然的に何らかの「解放感」を強く求める傾向があるのかと思います。なので、限られた経験の中でいうと、ハリウッド版『リング』とか『ディセント』とか、おおおおこう終わっちゃうのかああああ、みたいな終わりが好きなんですよね。緊張から解放されるときにひねりが加わるのが気持ちいいというか。

その観点で、もう一押し欲しかった、というのが多分、一番正直な感想なんだと思います。そんな感じ。

(後日追記)

(※1) 冒頭に書いた「タランティーノが絶賛」ですが、実際には手放しの賞賛ということではなかったようで。「タランティーノが高く評価」の出元はVultureのインタビューであるようなのですが、そこでは”It’s one of those movies that’s so good that you start getting mad at it for not being great.”と言っていて、要は「これは出来が良過ぎて、逆に『最高』(great)でないことで腹が立ってくるタイプの映画だ」というコメント。これは非常に納得いきます。まさにその通りというか。これに対して監督のデビッド・ロバート・ミッチェルはTwitterで”Hey QT, why don’t we get together over a beer and talk about these notes. I have a few of my own for you.”と返していたりして、なかなか言うじゃないの、という感じ。

[movie] ブリッジ・オブ・スパイ

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また! またしても「実話に基づく」!!

まぁスピルバーグは別枠ということでもいいんですが、さすがに最近多すぎて、フィクションとしての映画が、実話に基づくものと完全に現実から離れたSFやファンタジーやスーパーヒーローものに二極化しつつあるのではないかと妙な不安を覚えなくもありません。まぁそれならそれで個人的には気にせず楽しめはするんですが。

それはさておき、『ブリッジ・オブ・スパイ』ですが、監督がスピルバーグ、主演がトム・ハンクス、脚本がコーエン兄弟、ということで、これで駄作ができてきたらむしろ驚くという感じの製作陣なのですが、期待に違わぬ堅い作りの作品でした。

ただそりゃそのメンバーならそうだろ、というところはあって、主観的な満足度が高かったか、というと、必ずしもそうでもなく。喉越しが良すぎるというか、ストレート、ストレート、ストレート、三球三振、はい終わり!みたいな感覚があります。(142分もあるのに)

『リンカーン』でスピルバーグ+ダニエル・デル・ルイスだった時に普通に圧倒されて蹂躙されまくった記憶がまだ鮮明なので、何がこの違いに結びつくのか、ということを少し考えてみる必要がある気がします。

映画そのものとは少し離れますが、ベルリンは割と馴染みのある街なので、「あそこかよ!」みたいな現実の体験とのリンクが面白かったりもしました。フリードリッヒ通りは出張の時にいつも泊まるホテルのすぐそばだし、劇中でドノヴァンが乗った電車もよく乗るやつで、何というか、「実話に基づく」がボディに効いてくる感じでした。

同日公開で『イット・フォローズ』と『クリムゾン・ピーク』があるので、そっちも早めにと思っています。この後『ザ・ウォーク』も『白鯨との戦い』もあるからね!!(また「実話」)

 

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(追記) 『イット・フォローズ』観ました。